本の「帯」は必要か

本の「帯」は必要か

書店で本を手にとってみると「帯」というものがついている。本には本体のうえにカバー、そしてさらにこの「帯」が巻いてあることが多い。読んでいるとぺらぺらとめくれてくる邪魔なこの帯ははたして必要なのか。文庫本や新書などは読んでいるときにめんどくさいから帯も表紙もとっぱずしてしまうことがよくある。

ところが、アマゾンなどでは中古本を販売しているが、もちろん昔からある古書店でもそうだが、この帯もカバーもきちんとそろっているほうが値段が高い。読んだあとで売り飛ばそうとするんだったら、いくら邪魔でも捨てるわけにはいかないのだ。

そして、この帯にはキャッチコピーがついている。本屋さんに並べられた場合に、いかにほかの本と差別されて読者の手にとってもらえるかという出版社の工夫が込められている。

たとえば太宰治の「人間失格」という本はいろんな出版社が発行している。少し以前のものだが、帯にはそれぞれにこんなキャッチコピーがついていた。

新潮文庫:「この主人公は自分だ、と思う人とそうでない人に、日本人は二分される。」
集英社文庫:「生命の淵に追いつめられた太宰の、これは自伝であり遺書であった。」
角川文庫:「世代を超えて読みつがれる、太宰の自伝的小説。」

なかみの同じ文庫本で、売れるか売れないかはこの帯のキャッチコピーによるところが大きいのだ。

少し前、文庫本で発行部数が100万部を越えたということで話題になった、「思考の整理学」(ちくま文庫、外山滋比古著、520円+税)という本は、帯に書いたキャッチコピーによってこれだけ売れたと言われている。

この本、1986年が初版。出版して当分はぼちぼちの売れ行きだったそうだ。ところが盛岡の書店員、松本さんという方が「“もっと若いときに読んでいれば・・・“そう思わずにはいられませんでした。」という手書きのポップをつくり、出版社がこれを帯につけたところ爆発的に売れ出した。さらに何年かたって、「東大・京大で1番読まれた本」というコピーをつけたところとうとう100万部突破ということになってしまった。本の内容もたしかに示唆に富んだ内容で素晴らしいが、コピーの威力恐るべしである。

 

2023年3月20日 HT記