阪神・淡路大震災から30年目の日を迎えて
インフラが全壊した
きょう、阪神・淡路大震災から30年目の日を迎えた。1995(平成7)年1月17日早朝にマグニチュード7.3の大地震が近畿地方を襲った。交通は分断されて道路網は麻痺、電話回線は大きな被害を受けてほぼ不通、多くの家屋で火災が発生し、正確な情報を得るのは極めて困難な事態となった。近畿圏の大都市を直撃したこの地震は、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などの生活インフラが全く機能しなくなるという事態に直面。地震大国日本にとって、現代社会に対応する新たな備えと対策が今後必要であることを思い知らせる大災害であった。
インターネットと紙の印刷物が効果を発揮
当時はインターネットや携帯電話が普及しておらず、インターネットは電話回線や専用回線で一部の専門家や機関、愛好家が利用するぐらいだった。一般国民の間では、果たして社会生活に役立つのだろうかという議論さえなされていた。地震直後は各種インフラが遮断された状態で、デマが飛び交い適切な情報をできるだけ早く提供することが不可欠だった。
このような状況の中、非常時の通信手段として専用回線によるインターネットが使われた。被災者への情報提供、被災地への支援のための情報提供などに必要不可欠な、正確な情報を届けることについてきわめて有効であることを誰もが知った。
紙の印刷物も大きな役割を果たした。多数のボランティアが駆けつけて、小型の印刷機でかわら版形式の情報紙がたくさん印刷配布された。「情報ボランティア」という言葉もこの時に生まれた。
被災者及び被災地への支援のために、未知のインターネットやアナログの印刷技術が意外と役に立ち、後の防災対策に生かされることになる。
インターネットの普及元年
わが国でインターネットが爆発的に普及したのはこの震災の翌年、1996(平成8)年である。多数のインターネットプロバイダサービスが提供され、ホームページ開設が一気に加速した。書店には関連書籍が山と積み上げられた。会社や個人でもパソコン教室やインターネット研修が行われた。現代社会の公器としてこの技術の有用性が社会に認められたのだ。だとすれば、来年がインターネット普及30年でもある。